京都・上賀茂神社(賀茂別雷神社)の祭神。記紀ではなく、山城国風土記の逸文に由緒が伝わる柱である。
母は玉依日売。石川の瀬で遊んでいたとき、丹塗矢が流れてきたので持ち帰り床のそばに置いたところ、身ごもって男の子を産んだ。
子が成長したとき、祖父は神々を集めて宴を開き、「お前の父と思う者に酒を飲ませよ」と言った。子は盃を捧げたまま屋根を突き破り、天へ昇っていった。
父が誰かを問われた子が、答える代わりに天へ帰る——これが「別雷(わけいかづち)」の名の由来とされる。雷は落ちるものだが、この柱は昇ることで雷になった。
上賀茂神社と下鴨神社が共に行う賀茂祭(葵祭)は、平安期に「祭」といえばこれを指したほどの大祭だった。
風土記には、この社の祭で馬を走らせたことが記されている。競馬(くらべうま)の神事は今も続いており、雷の速さを馬に託した形が千年をこえて残っている。
雷、そして厄除け。上賀茂神社を本社とし、全国の賀茂神社・別雷神社に祀られる。境内に立てられる立砂は、神が降りた神山を象ったものとされる。
賀茂氏は山城に古くから住んだ氏族で、この柱の信仰は平安京が置かれるより前からこの土地にあった。都が後から来て、土地の神を都の守り神に据えた形である。
上へ向かう一本。根元から先へまっすぐ細くなり、持つと自然に切先が上を向く棒。
建御雷神・経津主神が斬る雷であるのに対し、この柱は昇る雷である。当局は方向で分ける——地面へ叩きつける形の棒ではなく、天を指す形の棒がこの柱を招く。
※この節は当局による解釈であり、記紀の記述ではありません。
発行済みの鑑定書のうち、この柱が宿った割合。鑑定が増えるたびに変動する。表記のゆれは名寄せしたうえで合算している。
この柱を宿した公開中の鑑定書は、まだない。