大国主神の子。国譲りの談判で、父と兄が承服したあとに現れ、建御雷神に力比べを挑んだ。
千人がかりで引く岩を手先に載せて運んでくるほどの力を見せたが、建御雷神の手を取ると、その手は氷柱になり、また剣の刃になった。恐れて退いたところを掴まれ、葦を抜くように投げられた。
逃げたこの柱は、科野国の州羽海——今の諏訪湖まで追い詰められた。そこで「この地を離れない。父と兄の言葉に背かない。葦原中国は天つ神の御子に奉る」と誓い、命を許された。
敗れた神が土地に留まり、その土地の神として祀られる。国譲りの物語は、勝った側だけでなく、退いた側の行き先まで書き残している。
諏訪大社は上社・下社に分かれ、いずれも本殿を持たない。上社は守屋山を、下社は御神木を神体とする。社殿より先に山と木があるという古い形が、そのまま残っている。
祭神が敗れて逃れてきた神でありながら、その社が本殿を持たないほど古い形を保っているというのは示唆的である。国譲りの物語に組み込まれる前から、この土地には土地の神がいた——記紀はそれを後から系譜に繋いだのだろうと考えられている。
風と水、狩猟、そして武。中世には武神として広く信仰され、軍記物にも諏訪の名が現れる。全国の諏訪神社に祀られる。
七年ごとの御柱祭では、山から樅の大木を伐り出し、人力で曳いて社の四隅に建てる。巨大な一本の木を立てること自体が祭になっている、日本でも稀な神事である。
御柱を思わせる一本。長く、重く、まっすぐで、立てたくなる棒。
当局はこの柱を、寝かせるより立てるほうが似合う棒に降ろす。振るための棒でも突くための棒でもなく、地面に据えて自立する一本——それが諏訪の神の形である。
※この節は当局による解釈であり、記紀の記述ではありません。
まだ記録なし
発行済みの鑑定書のうち、この柱が宿った割合。鑑定が増えるたびに変動する。表記のゆれは名寄せしたうえで合算している。
この柱を宿した公開中の鑑定書は、まだない。