伊邪那岐命と伊邪那美命が国を生んだのち、朝霧を吹き払った息から生まれた風の神。名の「シナ」は息の長さを意味するとされる。
日本書紀は級長津彦命・級長戸辺命と記し、男女一対の柱として伝える。
この柱には姿の描写がほとんど無い。神話に現れるのは誕生の一節のみで、事績が語られない。
それは弱さではなく、風という現象の性質そのものである。形を持たず、通り過ぎたあとにしか存在が分からない。神話が語らないことによって、かえって正確に語っている柱といえる。
龍田の風神祭は、稲の実りを守るために風を鎮める国家の祭祀だった。祈るのは吹くことではなく、吹きすぎないことである。
火の神が火を鎮める神でもあるのと同じ構造が、ここにもある。日本の神は、自らが司る力を抑えることを引き受ける。
風。奈良県の龍田大社は風の神を祀る社として古くから朝廷の祭祀を受けてきた(同社の祭神は天御柱大神・国御柱大神で、志那都比古神と同一視される)。伊勢神宮にも風日祈宮がある。
台風と豊作は表裏なので、風の神は祟りと恵みの両方を負う。風を鎮めるための祭りが国家の行事だったのは、そのためである。
風は稲を倒しもすれば、籾を運びもする。祟りと恵みを同じ動きが担っているため、風の神への祈りは他の神より慎重な言い回しを取る。加減を願う祈りは、断ち切りや恵みを願う祈りより難しい。
軽い棒。持ち上げたときに予想より軽い一本、内部が乾ききって空洞に近い枝、細く長く、振れば音が鳴る棒。
当局がこの柱で見るのは重量そのものではなく、見た目との差である。太く見えるのに軽ければ軽いほど、志那都比古神に近い。
※この節は当局による解釈であり、記紀の記述ではありません。
発行済みの鑑定書のうち、この柱が宿った割合。鑑定が増えるたびに変動する。表記のゆれは名寄せしたうえで合算している。