神産巣日神の子。あまりに小さく、親の指の間からこぼれ落ちた神とされる。
大国主神が出雲の御大の岬にいたとき、蘿摩の実を割った舟に乗り、蛾の皮を丸ごと剥いだ衣を着て、波の彼方から近づいてきた。名を問うても答えず、誰も知らなかったが、蟇蛙が「崩彦なら知っている」と言い、案山子の崩彦が神産巣日神の子だと明かした。
この柱の特徴は、ただ小さいことである。強くもなく、大きくもなく、雷も嵐も呼ばない。
それでいて、大国主神と二人で国を作り固めた。日本神話における国造りは、最も大きな神と最も小さな神の共同作業として記されている。**片方だけでは足りなかった**ということを、この配役そのものが語っている。
国造りが半ばのところで、少彦名神は常世国へ渡ってしまう。日本書紀には、熊野の岬から粟の茎に弾かれて常世へ弾き飛ばされたとある。
残された大国主神は「これから誰と国を作ればよいのか」と嘆いた。神話が別れの嘆きを書き残している場面は多くない。
薬、温泉、酒造。大阪の少彦名神社は道修町の薬種問屋街に鎮座し、今も製薬業の信仰を集める。道後温泉や有馬温泉など、各地の温泉の発見伝承にもこの柱の名が現れる。
小さい一本。手のひらに収まる短い枝、細く軽く、それでいて形の整った棒。
当局は大きさそのものでこの柱を選ぶ。ただし小さければ何でもよいわけではない——大山津見神が大きさで存在感を示すのと同じ意味で、この柱は小ささで存在感を示す。取るに足らないのではなく、小さいことがそのまま特徴になっている一本である。
※この節は当局による解釈であり、記紀の記述ではありません。
まだ記録なし
発行済みの鑑定書のうち、この柱が宿った割合。鑑定が増えるたびに変動する。表記のゆれは名寄せしたうえで合算している。
この柱を宿した公開中の鑑定書は、まだない。